--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私見 「地震」を考える

2011年04月19日 16:35

東日本大震災から1ヶ月以上が経過しました。
今日は地震から以降、いろいろと思うことを書いておきたいと思います。
まず最初に断っておきますが、地震関連の日記はすごい自分勝手な内容かと思います。
ですので、今後このブログを離れる方も多数出るかと思います。
でも、今の本当の気持ちですから書いておきます。



まず地震です。
阪神淡路大震災を体験しました
阪神淡路大震災直後、ボランティアに2回行きました。
懐中電灯とラジオだけは常備しました。
生活も気持ちも落ち着いてから、淡路島の北淡震災記念公園や神戸の阪神・淡路大震災記念『人と防災未来センター』にも行きました。
そこで学ぶことも多かった、と言いたいところですが、正直『人と防災未来センター』の方は学ぶ以上に怖かったです。
そして天災に対しては何も出来ない自分自身を改めて感じました。
偶然立ち寄った本屋で売られていたコミック漫画『彼女を守る51の方法』を買って読みました。
記念公園に行ったり震災コミックを読んだりしてから周りを見て気付いたことは、「世の中、防災の色がほとんど無いなぁ」ということでした。
小生は毎年1月17日前後にNHKスペシャルなんかで放映される震災ものを録画して、あの時神戸で何が起こったのかを一応意識しています。
ですが、そんなドキュメンタリーなんかも年々風化していき、民放ではほとんど何も放映されなくなりました。
京都大学の飯尾先生は単独で小型の地震計を年間100個以上を設置しまくってます。
すんげーかっこいいと思います。
直接話したことありますが、とっても物静かな方でした。
その飯尾先生も出ていたNHKスペシャルでは、東北の地震の予知もやっていました。
「(ここ30年以内に東北に)来る、来る」と言われて、科学者は動いていたようですが、ニッポンは何かしていたのでしょうか。
飯尾先生らは、ずっと汗水流して防災、減災されていたんですね。
ホントすげーと思いました。

小生のできることって限られてます。
地震の予知、できません。
体力勝負のボランティア、できません。
できるのは、地域のネットワークを作ることくらいです。
地域ネットワークを作って、いざって時に協力し合える関係になっておかなければ、やばい時代です。
隣近所の人と当たり前のように挨拶を交わし、当たり前のように立ち話をし、仲良くなることくらいしかできません。
「地域」から「地域」が無くなったのは都会だけでしょうか。
大阪だけでしょうか。
地震に対して、小生ができるのってこれくらいしかありません。



次は「原発事故(仮題)」か「文明開発(仮題)」について書いてみたいと思います。
スポンサーサイト

「満月の夕」

2011年04月25日 15:50

「満月の夕(ゆうべ)」という歌をご存じでしょうか。
震災と言えばこの曲、という程の定番曲でしょうか。
↑この表現、なんか不謹慎な感じがしてすみません。
いろいろと検索していると、アン・サリーという方がカバーしているのを見つけました。

東日本大震災画像に乗せた(おそらく)アン・サリーバージョンの満月の夕です。

まさに、ニッポン、頑張ろう!頑張ろう、俺たち!負けるな、人間!!です。

この「満月の夕」は元々は、ソウル・フラワー・ユニオンというグループ(ソウル・フラワー・モノノケ・サミット名義)の曲です。
ちとWebあちこちより抜粋してまとめてみました。
1995年1月の阪神淡路大震災の直後の2月、ソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子の発案で、避難所への慰問ライヴが始まります。
ライフラインが寸断された被災地で演奏する為、アコースティックな楽器を使い、非電化をメインにし、「どこでも演奏できる」をモットーにしたようです。
エレキ・ギターを三線に、ドラムをチンドンやチャンゴに、他のメンバーはそれぞれアコーディオンやクラリネットなどを持ち、マイクの替わりにメガホンや拡声器を使いました。
震災被災者の中でも特に年配のために、戦前戦後の流行り唄や壮士演歌、ヤマト民謡・沖縄民謡・朝鮮民謡・アイヌ民謡などをレパートリーにし、チンドン・アレンジで演奏しました。
この時の活動は、ソウル・フラワー・ユニオンではなく、別名義のソウル・フラワー・モノノケ・サミットでした。
この時に生まれた名曲が「満月の夕」です。
歌詞がすごい!

満月の夕 (ゆうべ)
<作詞 : 中川敬/作曲 : 中川敬 & 山口洋>

風が吹く 港の方から 焼けあとを包むようにおどす風
悲しくて すべてを笑う 乾く冬の夕

時を超え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ
この胸の振り子は鳴らす “今”を刻むため

飼い主をなくした柴が 同胞とじゃれながら車道 (みち)をゆく
解き放たれ すべてを笑う 乾く冬の夕

 ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
 ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
 解き放て いのちで笑え 満月の夕

星が降る 満月が笑う 焼けあとを包むようにおどす風
解き放たれ すべてを笑う 乾く冬の夕

 ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
 ヤサホーヤ 三線鳴らす 吐く息の白さが踊る
 解き放て いのちで笑え 満月の夕

 ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
 ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
 解き放て いのちで笑え 満月の夕
 解き放て いのちで笑え 満月の夕

阪神淡路大震災当日は満月でした。
それからおよそ1ヶ月後の2月14日の慰問ライブの光景を元に、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が、親交の深かったヒートウェイブの山口洋と一緒に、被災地で書き上げた曲です。
その日の神戸の空には満月が浮かんでおり、最大余震の到来が噂される中、ライヴを観る被災者たちが口々に「満月を見るの、怖いわ」と言っていたのを中川が耳にしたことから、この唄は産まれているそうです。

ちょっと歌以外も入ってますが、ご覧下さい。

これが本家の「満月の夕」です。

小生はこれを見るたびに、いろいろと思い出したりして号泣してしまいます。
そして、東北の被災地にいるアノ人やコノ人などを思い出し、「負けられねぇぞ!」と、奮い立たせています。
期間限定っぽいですが、コチラもどうぞ(>>>

余談ですが、ソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子は、ソウル・フラワー震災基金を設立しています。
ソウル・フラワー震災基金は、他の既成組織に基金を委ねません。
現地の実状をふまえ、直接、施設や現地ボランティア・スタッフに渡すという方法をとっています。
実際に今回の東日本大震災でも、伊丹英子の知人が数名、既に現地に入っているようです。

この「満月の夕」は、先にもupしたようにアン・サリーがカバーしたり、ガガガspがカバーしたりしていますが、小生は平安隆バージョンが好きです。

コチラ↓がそうです。

再生できませんでしたお分かりのように、ウチナーグチ(沖縄方言)バージョンです。



ソウル・フラワー・ユニオン(ソウル・フラワー・モノノケ・サミット)の曲、正確にはカバー曲で、「復興節」というのもあります。
これは、関東大震災直後に流行った曲を阪神淡路大震災の時に替え歌として歌われました。

これは兵庫県内の復興住宅でライブが行われた時の「復興節」の模様です。

この熱さがたまりません。

家(ウチ)は焼けても江戸ッ子の
意気は消えない見ておくれ
アラマ オヤマ
忽ち(たちまち)並んだバラックに
夜は寝ながらお月さま眺めて
エーゾエーゾ

帝都(江戸)復興
エーゾエーゾ

嬶(かぁちゃん)が亭主に言うようは
お前さん、しっかりしておくれ
アラマ オヤマ
今川焼さえ復興焼と
改名してるじゃないか
お前さんもしっかりして
エーゾエーゾ

亭主復興
エーゾエーゾ

東京の永田にゃ金がある
神戸の長田にゃ唄がある
アラマ オヤマ ほんまのまつりごと見せたれや
コリアンもヤマトンチュもアリラン峠を越えて行く
長田 ちんどん
エーゾエーゾ

家は焼けても神戸っ子の
意気は消えない見ててよネ
アラマ オヤマ
ホンマの人間ここにあり
笑って 怒って 涙はいらない でっかんしょ

阪神復興
エーゾエーゾ
淡路復興
エーゾエーゾ
日本解散
エーゾエーゾ


ニッポン、頑張ろう!
頑張ろう、俺たち!
負けるな、人間!!

11万人を忘れない

2011年06月25日 23:55

6月24日、新聞から一つの欄が消えました。
110625-複雑
いつまでも引きずっても仕方ないというのも分かりますが、どうも違う気がします。

3.11以降、暫くしてから一面の文字が次々と変わりました。
地震と津波の被害から、一気に原発一色になりました。
漁業組合の怒り、農業被害の話、福島県民に対する風評被害などなどが過ぎ去っていきました。
当事者の方々には申し訳ない表現ですが、新聞などメディアの扱いではそうなってしまいます。
「地震と津波は天災で原発事故は人災だ」という言葉を聞いた時、正直「?」とちょっと思いました。
運動などで原発に反対もしてきましたが、この国に住む以上、使わざるをえません。
・・・悔しいですが。
小生が今、使っている電力の一部も、関電の原発から送られてきていることでしょう。
荒ぶる神の領域を侵してしまったんだから、原発に対して祈るしかないと思っています。

原発事故の一方で、政治の茶番劇らしきものが出てきました。
「組もう、組まない」だとか、「退け」だとかです。
しかし小生は、特に政府はすべて悪いみたいな風になれません。
立候補する勇気も金もない小生は、誰かに託すしかありません。
そして、今を必死に生きるしかないと思っています。

そんな中、総務省が地デジ化に向けて必死です。
これが、いまいちわからないんです。
「見られなくなる!」と騒いでますが、地震や津波が来たり、電力が無くなったら、いくらアンテナ立てても見られなくなるんです。
これを急ぐ理由が、本当にわかりません。

地デジ化?
妻の実家は固定電話の回線さえ(・・・・・・・・・)復旧していません。

紙面から消えた11万人を忘れてはならないと思いました。

あれから5ヶ月

2011年08月11日 22:16

お盆ですから、妻の実家に帰省してます。
妻の実家は5ヶ月前のあの震災の被災地でもありました。

今日の5ヶ月という日にあわせて、近所をブラついてきました。
110811-ガス
ここ↑は妻の実家から歩いて5分ほどのガソリンスタンドですが、黄色のところまで津波の跡が残ってます。

もう5分も歩くと線路に出ます。
110811-線路01
手前は線路が残ってますが、途中から津波で流されたのか線路がありません。

枕木だけが残る地面に生活用品や貝殻が見つかります(もっと向こうには枕木さえありません
110811-線路02
貝殻を見ると海が来た怖さを感じ、生活用品を見ると何とも言えない苦しさを感じます。

枕木さえなくなった所では、再利用のためか集められた枕木が積まれてました。
110811-線路03
枕木の反対側(線路の右側)には流されてきたのか船が乗り上げたまま放置されてます。

線路も枕木もなくなった線路跡を歩いていくと、倒壊した家屋で線路道が閉ざされてました。
110811-線路04
重機がたくさん通ってか道が蛇行してますが、そんな線路にどんどん雑草が浸食してきてます。

倒壊した家屋を別角度から撮ってみました。
110811-線路05
痛いです。

そこから10分ほど行くと今度は海に出ます。
110811-海01
今日はなんとも穏やかで静かで「これがあの荒ぶった海か」と思いました。

上の写真↑の防波堤のすぐ裏側には家が一軒見えました。
110811-海02
見えたのは一軒でしたが、家の土台はいくつも見られたので、ここらは集落だったのかもしれません。

ここは先ほどの海から実家に帰る途中にある自動車工場でしょうか。
110811-力
看板部分のへこみ方の角度が津波のパワーを感じさせられました。

市内のがれき撤去場も見れたので見てきました。
110811-がれき02
ここはもちろん一部です。

車両置き場も見てきました。
110811-がれき01
こんなのが波に押されてゴロゴロと来たら・・・と考えただけでも怖くなりました。

原形をとどめていない車両もありました。
110811-がれき03
あちこちぶつけた後に、炎上したのでしょうか。

20分圏内を一通り歩いて帰ってきました。
110811-青空
これ↑は実家の目の前の景色ですが、まだ撤去されていない原付が転がったままでした。

ナンバープレートが無いので持ち主は無事だったのでしょう。
なによりです。
土が見えている所は本来なら田んぼで、稲穂が生い茂っている所です。
重機が今日も出入りして作業してたので土になってます。
それより、海でもそうでしたが、青空が綺麗です。
この青空のもと、早い復興を祈る日々です。

現地でわかったこと

2011年08月19日 00:28

こんばんは、mongyです。
現在は大阪箕面に帰ってきてます(17日に帰ってきました
1つ前の日記では、妻の実家から歩いていける距離をupしておきました。
今日は岩手の知人に会いにも行けたのでその道中の写真などを含めてupしておきます。
景色は、海岸線に沿って走る国道45号線沿いの街のものです。

ここは街が丸ごと消えてました。
110818-R0013198
かつて来たことのある所ですが、海岸線のラインが完全に変わってしまっていました。

ここはどこかの学校だったと思いますが、3階建ての3階まで津波が来たことがわかります。
110818-R0013241
運動場はがれき置き場になっているようです。

海に近い街は一枚目の写真のように跡形もなく無くなっているか、このように↓冠水して重機が入れない所が多いです。
110818-R00132701
今は冠水していませんが高潮時は入れないのではないかと思います。

ここ↓は、別の日は通れたのに行った日は通れませんでした。
110818-R0013247
黄色の矢印の方に道があるんです。

常に冠水している所もあり、がれきの撤去もほとんど進んでいません。
110818-R0013264
最大で80㎝ほど地盤沈下しているらしいですし、この地域は65㎝沈下したと聞いてます。

ずっと冠水状態なので、本来いるはずのない海鳥が来て、ついばんでました。
110818-R0013252
車から降りて水中を見てみると、ヘドロが沈殿しておりプクプクとヘドロから気泡が湧いてました。

タイトルの「現地でわかったこと」の一つがここにあります。
ここまで読まれた方で、現地に行かれた方、現地の方ならお分かりかと思いますが、テレビやWebではわからないことがここにはありました。
それは、鼻を突く異臭です。
途中から慣れましたが、それは震災から5ヶ月も経った今時分だからだったと思います。
魚か何かの腐った臭い、下水の臭い(ウンチ?)が充満してました。
これはテレビでは分からなかったなぁ、と再認識しました。

ここ↓は建物が一部残っているものの冠水しているようで、立て直すのかリフォームするのか、どちらにしろ地盤が緩いと重機が入れません。
110818-R0013250
建物だけがこうして残り、人どころか猫も通らない殺伐とした景色が今でも見られます(夜を想像したら、かなり怖かったです

陸地に上がった船が未だに残されたままです。
110818-R0013265
この一角を船と一緒にモニュメントとして残すとか聞いてますが、ここはJRの駅があった所です。

船が丘に上がった所も、ここ↓も津波の後に大火災が発生した地域です。
110818-R00132741
歩道橋のどの辺りまで津波が来て、その水面に炎があったことがはっきりと分かる一枚として撮っておきました。

「現地でわかったこと」のもう一つを記録しておきます。
妻の母校で行われたお祭りに、えーさん(4歳の上の娘)と行ってきました。
運動場はビッシリと仮設住宅が建ち並んでいました。
体育館も避難所になっていました。
祭りでは、被災者の為の救援物資の配布は勿論、小生らのような一般の人にもスイカやお好み焼き、ジュースの無料配布がされてました。
途中で、えーさんがおしっこを言い出したので、体育館脇にあるトイレに行きました。
水洗で水もきちんと流れるものでしたが、ここでもテレビじゃ分からなかったことを知りました。
トイレのタンクに貼り紙があり、「水以外は流さないで下さい。紙はこちらのゴミ袋にお入れ下さい」と書かれてました。
少ない水でも排水管を詰まらせない工夫でしょうね(少しググってみると、おしっこの場合は流さないというルールを作った所もあったと出ました

小生ごときの気付いたことですから、大したことじゃないんですが記録して、しっかりと胸に刻んでおきたいと思います。


更新情報


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。